順応し続ける、セールスエンジニアのYさん
・外資系機械部品メーカーに勤める39歳
・外資系企業が故の著しい変化に対応
・ただの営業ではないセールスエンジニアの面白さ
外資系機会部品メーカーに勤める39歳
東京大学文科三類という高学歴をお持ちのYさん、ストレートで入学・卒業したものの、”こういう仕事がしたい”という想いもなく、外資系機械部品メーカーに就職。入社してから数ヶ月は、工場のある地方の本社で自社製品について勉強、「理系分野は得意ではなかったが、学ぶことは好きだったので楽しかった。また、あの時間が後々の自分を救った」と語る。
外資系企業が故の著しい変化に対応
入社した際は、外資系でありながら資本は日本企業が若干上回っていた為、海外部門でもない限りは特別英語を学ぶ必要もなく、昔ながらの日本企業だったが、入社4年目に海外企業の資本が上回ると同時に、経営陣の一新や経営方針も大きく変わり、現場では少なくない戸惑いがあったと話す。
「あの時は、新しい社長や幹部とこれまで現場を仕切って来た上役に大きな隔たりがあって、これからはこうするんだという新しい方々とこれまでお世話になった上司たちとで板挟みでした(苦笑)。傲慢な言い方かもしれませんが、お世話になった上司たちを守りたいという気持ちで早く新しい方針に若手の私が慣れなければと思いました。」
新体制が始まると、同グループの海外からの訪客も増え、英語学習が社内で必須になっていったという。Yさんは、仕事終わりに必ず英語を学習するようになり、数年後には海外の顧客とも意思疎通ができるようになったとのこと。また、ある程度会話できるようになってからは、今までメールでしかやり取りをしていなかった海外の顧客とも積極的に電話するようになり、以前より関係性が構築できるようになったと語る。
その後も、資本比率の変動や社長交代の度に変化はあったものの、最初の変化で”変わることに対応できるようになり、変化し続けることでしか生き残れないと実感した経験が生きたので戸惑いはなかった”と語った。
ただの営業ではないセールスエンジニアの面白さ
「最初にも話した通り、私文系なんですよ。苦手だった分野が、なぜこんなにも面白いと思えるようになったかと考えると、”セールスエンジニア”だったからだと思います。」
営業先となる機器メーカーに回り、自社製品を導入できるような機器を作成する予定があるか生産計画の確認を行ったり、直接引き合いの連絡が来て、技術的な相談を受ける。その際は、エンジニアの素養がないと務まらないと言う。
「圧力がこれぐらいで、その中で扱っている素材はこんな感じのものでといったように仕様の話を聞いて、ある程度受け答えができないと話にならない。最終的な判断は自社エンジニアがするのですが、常にわからないや持ち帰りますでは話が進みませんからね。」
「詳しくは話せませんが、以前船関係でオーバーホールする時間がほとんどなく、出航するまでに○○製品が欲しいという緊急依頼が入ったんです。ただ、日本にはその製品を組み立てる在庫がなく、顧客の要望する日時には到底間に合いませんでした。その旨を伝えたところ、”それを絶対に困る、どんな手を使っても良いから用意して欲しい”と言われちゃいました(笑)。」
「その顧客の依頼先が国関係だと知っていたので、何とかしなければならないと困り果てていた際に顧客の言葉を思い出したんです。どんな手を使ってもって言葉を(笑)。元々依頼のあった製品の図面を引っ張り出して、本社の在庫状況を確認し、今ある在庫の中で対応できる製品を作成してみようと。」
「勿論、顧客には”私が作成したものの為、自社製品ではないので何の保証もしない”という書面のやり取りはしましたよ。その上で、研修で本社へ行っていた際に出来た人脈の協力を得て、製品を作成しました。研修に行っていたお陰で、エンジニアや生産管理の方々と良い関係がつくれたと今も感謝しています。」
「製品は無事成功し、顧客には”今回は言い値で良い”と言われました(笑)。いつもより少し多めには頂きました。また、この件の後からはその顧客からは大きな信頼を得られたのか、とても良くして頂いてます。でも、私自身が一番嬉しかったのは、文系の私がセールスエンジニアになれたと実感できたことでした。」と語った。